メディア個別 「ここじゃない何処か」に長く暮らして/真木あかり #卒業コラム | アリシー- olab.info

アリシー

自分をスキになるって、意外とカンタン。
想いを文字にしてみる。
「ここじゃない何処か」に長く暮らして/真木あかり #卒業コラム
想いを文字にしてみる。

「ここじゃない何処か」に長く暮らして/真木あかり #卒業コラム

アリシーの3月特集は「想いを文字にしてみる」。3月11日の“コラムの日”にちなんで、人気作家やコラムニスト、漫画家など様々な方々に“卒業”をテーマとしたコラムを依頼。アリシーでも連載中の人気占い師・真木あかりさんにも寄稿いただきました。

ここじゃない何処かへ行けばここじゃない何処かがここになるだけだろう
(『サイレンと犀』岡野大嗣/書肆侃侃房)

4年前の晩秋のことである。部屋に入るなり、引越し業者の男性は「嘘だろ」という表情を浮かべた。私も完全に同感である。3日前から段ボール箱を組み立てては本を詰める、という作業をしているが、それを80回繰り返してもまだ終わらないのだ。詰めれば詰めるほど本が湧いてくる。

「竹取の翁みたいですよね、ほら竹から黄金が湧いてくるあの」とジョークをかます隙もなく、彼は無言でスマホを取り出し「今から2人お願いできますか」と応援を依頼していた。そうして段ボール箱90箱分の本と一緒に、私は川べりのクラシックな造作のマンションに越してきたのだった。

18で上京して以来、引っ越しの数は十を下らない。更新時期を待たずに越したこともあれば、ほとんど荷解きをしないまま次の家に移ったこともある。

同棲もあれば結婚もあり、ついでに言えば離婚もあった。そのたびに保証人のハンコを押させられる父親も気の毒である。詳しい理由までは話さないことも多かったが、父親なりに察しはついていたのだろう。あるとき苦虫を噛み潰したような顔で「お前は男が変わるたびに家が変わる」とため息をついた。

違うんですお父さん。10回のうち2回は男関係ではないのです。そう主張しようかと思ったが、余計に説得力がなくなりそうなので黙っていた。

入り組んだ路地のどん詰まりに建つ古びた6畳間のアパートもあった。ネオンまたたく都心のマンションもあった。冷たく薄暗い雑居ビルもあれば、明るい日差しが差し込むコーポもあった。思い返せば、引っ越そうと思ったときはいつもそのときどきの自分に倦んでいた。

新天地に移れば、新しい日々が待っている。それはきっと素晴らしいに違いないのだ、何者でもない自分も何者かになれるかもしれないのだと。18歳の、卒業式を終えた春のあの日と同じ気持ちで。

しかし冒頭に引用した短歌のように、“ここじゃない何処か”を求めても、新天地が“ここじゃない何処か”になるだけなのだ。

場所は場所にすぎず、今を倦むことしかできない人間がいくら場所を変えても運命が変わるはずがない。自分の今すら大切にしていないのだから、パートナーだって大切にできようはずもない。卒業式が終わって東京に行きさえすれば、と信じていた18歳から何も成長していないのだ。

4年間という歳月は、ひとつの場所にとどまった最長記録だ。当初はまたすぐに離れる気でいた。ここまで長く同じ場所にいたのは“ここじゃない何処か”など、求める気にもなれないほど怒涛の毎日だったからである。

夢見る余裕も失うほど人間性を損なわれ、いろいろなものを失った。今のままの自分ではだめなのだと、嫌というほど思い知らされた。ただただ、死なずにいるので精一杯だった。自業自得である、成長せずにいたのだから。

──どんな家に住もうか。

恋人の声に、はっと我に返った。いつの間にか追想にふけっていたらしい。

目の前では彼がライムを櫛形に切り分けている。ボンベイサファイアをウィルキンソンのトニックウォーターとソーダ半々でフルアップ。そこにライムを絞るのが最近の私たちのお気に入りだ。

「あかりさんの本が全部入る家がいいね、あと寒くないのは必須。あかりさんちは寒いから」と彼は笑う。ライムの鮮やかな香り。穏やかな時間。

私はもう、“ここじゃない何処か”を求めることはない。ずいぶん回り道をしたが、やっと、“ここ”を生きていけるようになった。自分と自分の大切な人を、きちんと大切にしていけるだろうとも思える。ほんとうの自分の人生がどこかにあると信じていた、幼い自分にさよならを告げて。

もうすぐ桜の季節がやってくる。今年は例年以上に感慨深い、卒業シーズンである。

(真木あかり+アリシー編集部)